「ふくしま復興塾」スタート

2011年3月12日の朝を、私たちは一生忘れないだろう。もちろん、前日、3月11日の揺れも経験にないほど大きく、忘れられない経験ではあったが、本当の当事者以外の人にとっては12日の朝のテレビから流れる情報の方が衝撃だったのではないだろうか。信じられない映像と、信じられない言葉たち、その後、信じられない事故も起きた。これまで影の薄かった福島出身という要素が、自分たちを特徴づける重要なキーワードに変わった。

そんなフクシマの若者である私たちは、世界に類を見ない危機的状況に陥ったフクシマの未来を担わなければならないと感じている。しかし、今の私たちの実力や経験では、福島のビジョンを描くことも、描いたビジョンを実現することも正直、難しい。そんな葛藤を抱いている福島の若者はたくさんいると思う。

私たちが生まれ育った福島は、国内で三番目に面積が大きい都道府県である。また県内は大きく三つの地域(会津・中通り・浜通り)と分かれており、地域ごとに風土も文化も全く異なっている。その上、交通の便も悪く、往来は少ない。さらには、福島市と郡山市の覇権争いのようなものまで起こる始末である。要は、同じ福島県内と言えど、地域同士が震災以前からバラバラだったのだ。だから、これまで「福島出身」や「福島在住」と言ったところで、地域が異なれば、ある意味「別のところの人」という感覚を持っていた。

しかし、そのような福島も震災を機に、地域や分野の異なる人たち同士の連携が生まれてきたことを感じることが度々ある。多様かつ複合的な問題の渦中にある福島の未来を切り拓いて行くためには、様々な主体や地域が連携し、お互いを補完しあうことが間違いなく重要なはずだ。かつて、日本の新しい時代を切り拓くために対立していた薩摩藩と長州藩が同盟を結んだように、福島の新しい時代を創っていくためには、私たちも、地域間のわだかまりから脱却し、分野や地域を越えたメンバーで一緒になって、前に進んでいくことが必要なのではないだろうか。

100年後の後輩たちに、あの2011年を生きていた先輩たちのせいで、このような不遇な日々を強いられているなどと思われたくはない。そうではなく、2011年以降の先輩たちの活躍で今があるのだと思われたい。そのような未来を築いていくという志を共にできる仲間達と、100年後に誇れる福島を創造していきたい。

私たち福島県内中の若者が繋がり、切磋琢磨しながらも、福島における役割を個々人がそれぞれ全うしていく決意をここに新たにし、本プロジェクトをスタートしたいと思います。